「合戦」カテゴリーアーカイブ

姉川の戦い ~朝倉・浅井連合軍の大敗から信長包囲網へ

姉川古戦場《姉川古戦場》

 姉川の戦いとは、1570年(元亀元年6月28日)に、近江国浅井郡姉川河原にて行われた、朝倉・浅井連合軍と織田・徳川連合軍による戦いです。
 この戦いに敗北した朝倉・浅井両家は周辺勢力と協力し、信長包囲網を形成していくことになります。

 姉川の戦い(あねがわのたたかい)
 年月日  1570年7月30日(元亀元年6月28日)
 場所   近江国浅井郡姉川河原
 交戦勢力 朝倉・浅井軍対織田・徳川軍
 指揮官  朝倉・浅井軍:朝倉景健浅井長政
 指揮官  織田・徳川軍:織田信長徳川家康
 戦力   朝倉・浅井軍:13,000~30,000
 戦力   織田・徳川軍:13,000~40,000
 結果   織田・徳川軍の勝利

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大坂の陣 ~冬の陣から夏の陣へ、豊臣家滅亡と元和偃武

大坂夏の陣
『大坂夏の陣図屏風』

 大坂の陣とは、1614年(慶長19年)~1615年(慶長20年)に大坂の豊臣家と江戸幕府の間で行われた一連の合戦のことをいい、大坂の役とも呼ばれています。
 該当期間中に和議を挟んでおり、大きく二回に分けて行われたため、それぞれを大坂冬の陣、大坂夏の陣としても知られています。

 大坂の陣(おおさかのじん)
 年月日  1614年(慶長19年11月)
      ~1615年(慶長20年5月)
 場所   摂津国 河内国 和泉国
 交戦勢力 豊臣軍 対 江戸幕府軍
 指導者  豊臣軍:豊臣秀頼
      江戸幕府軍:徳川家康・徳川秀忠
 戦力   豊臣軍:冬の陣 90,000
      豊臣軍:夏の陣 55,000
      江戸幕府軍:冬の陣 200,000
      江戸幕府軍:夏の陣 165,000
 結果   豊臣家の滅亡

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天王寺・岡山の戦い ~戦国時代の終焉か、大坂夏の陣最終決戦

 天王寺・岡山の戦いとは、大坂方豊臣家と江戸幕府の間で行われた戦役である大坂の陣、特に大坂夏の陣における最終決戦として知られています。

 天王寺・岡山の戦い(てんのうじ・おかやまのたたかい)
 年月日  1615年(慶長20年)
 場所   摂津国東成郡大坂城南方
 交戦勢力 豊臣軍 対 江戸幕府軍
 指揮官  豊臣軍:真田信繁毛利勝永
      江戸幕府軍:徳川家康・徳川秀忠 他
 戦力   豊臣軍:50,000
      江戸幕府軍:150,000
 結果   江戸幕府軍の勝利

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若江の戦い ~豊臣の若武者・木村重成の最期の戦いである大坂夏の陣

 若江の戦いとは、大坂方豊臣家と江戸幕府との間で行われた大坂の陣の戦いの一つであり、豊臣家の若き武将である木村重成が奮戦するも討死した戦いとして知られています。
 またこの戦いは八尾の戦いとも連動しているため、八尾・若江の戦いともいわれます。

 若江の戦い(わかえのたたかい)
 年月日  1615年(慶長20年)
 場所   河内国若江郡若江村付近
 交戦勢力 豊臣軍 対 江戸幕府軍
 指揮官  豊臣軍:木村重成
      江戸幕府軍:井伊直孝
 戦力   豊臣軍:6,000
      江戸幕府軍:9,500
 結果   江戸幕府軍の勝利

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八尾の戦い ~長宗我部盛親が藤堂高虎に勝利した、大坂夏の陣

 八尾の戦いとは、大坂方豊臣家と江戸幕府との間で行われた大坂の陣の戦いの一つであり、大坂城五人衆の一人である長宗我部盛親が、名将・藤堂高虎に勝利した戦いとして知られています。

 八尾の戦い(やおのたたかい)
 年月日  1615年(慶長20年)
 場所   河内国河内郡八尾村付近
 交戦勢力 豊臣軍 対 江戸幕府軍
 指揮官  豊臣軍:長宗我部盛親
      江戸幕府軍:藤堂高虎
 戦力   豊臣軍:5,300
      江戸幕府軍:5,000
 結果   豊臣軍の勝利

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樫井の戦い ~塙団右衛門(塙直之)の最期、大坂夏の陣の前哨戦

 樫井の戦いとは、大坂の陣における大坂夏の陣の前哨戦ともいえる戦いで、幕府方の浅野長晟(あさの ながあきら)に対し、豊臣方が攻撃を仕掛け、塙団右衛門こと塙直之が戦死した戦いとして知られています。

 樫井の戦い(かしいのたたかい)
 年月日  1615年(慶長20年4月29日)
 場所   和泉国樫井
 交戦勢力 豊臣軍 対 浅野軍(幕府方)
 指揮官  豊臣軍:大野治房
      浅野軍:浅野長晟
 戦力   豊臣軍:3,000
      浅野軍:5,000
 結果   浅野軍の勝利

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九頭竜川の戦い ~30万の軍勢を打ち破り、朝倉宗滴の武名を轟かす

九頭竜川《九頭竜川》

 九頭竜川の戦いとは、1506年(永正3年)に、越前に侵攻した一向一揆30万を、朝倉宗滴を総大将とする朝倉軍約1万が撃破した戦いとして知られています。

 九頭竜川の戦い(くずりゅうがわのたたかい)
 年月日  1506年(永正3年8月5日)
 場所   越前国九頭竜川一帯
 交戦勢力 朝倉軍 対 北陸一向衆及び甲斐氏
 指揮官  朝倉軍:朝倉宗滴
      一向一揆軍:河合宣久
 戦力   朝倉軍:8,000~16,000
      一向一揆軍:300,000以上
 結果   朝倉軍の勝利

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道明寺の戦い ~後藤又兵衛の最後の戦いである、大坂夏の陣

 道明寺の戦いとは、大坂方豊臣家と江戸幕府との間で行われた大坂の陣の戦いの一つであり、大坂城五人衆で知られる後藤基次(又兵衛)が討死した戦いとして知られています。

 道明寺の戦い(どうみょうじのたたかい)
 年月日  1615年(慶長20年5月6日)
 場所   河内国志紀郡道明寺村及び誉田村
 交戦勢力 豊臣軍 対 江戸幕府軍
 指揮官  豊臣軍:前隊・後藤又兵衛(基次)
          後隊・真田信繁(幸村)
            ・毛利勝永
      幕府軍:総大将・松平忠輝
          先鋒大将・水野勝成
          二番手・本多忠政
          三番手・松平忠明
          四番手・伊達政宗
 戦力   豊臣軍:18,400
      幕府軍:34,300
 結果   幕府軍の勝利

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真田丸の戦い ~真田日本一の兵を知らしめた、大坂冬の陣

 1614年(慶長19年)に豊臣、徳川の間で行われた戦いである大坂の陣、特に大坂冬の陣において戦われた戦いの一つで、豊臣方が勝利した戦いとして知られています。
 またその名の由来通り、真田信繁(幸村)の名が天下に知られるようになった戦いでもありました。

 真田丸の戦い(さなだまるのたたかい)
 年月日  1615年1月3日(慶長19年12月4日)
 場所   摂津国大坂城南端
 交戦勢力 豊臣軍 対 江戸幕府軍
 指揮官  豊臣軍:真田信繁
      幕府軍:前田利常
 戦力   豊臣軍:17,000
      幕府軍:26,000
 結果   豊臣軍の勝利

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金ヶ崎の戦い ~織田信長の撤退戦、金ヶ崎の退き口

金ヶ崎古戦場跡《金ヶ崎古戦場跡》

 金ヶ崎の戦いとは、1570年(元亀元年)に起こった戦いであり、織田信長朝倉義景の支配する越前に侵攻するも挟み撃ちに遭い、窮地に陥った戦として有名な撤退戦です。金ヶ崎の退き口、ともいわれています。

 戦国の三傑(三英傑)がそろって敗北した戦いとしても知られています。

 金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)
 年月日  1570年(元亀元年)
 場所   越前国敦賀郡金ヶ崎
 交戦勢力 朝倉・浅井軍 対 織田・徳川軍
 指揮官  朝倉・浅井軍:朝倉義景浅井長政
      織田・徳川軍:織田信長徳川家康
 戦力   朝倉・浅井軍:20,000
      織田・徳川軍:30,000
 結果   織田・徳川軍の撤退

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