「浅井家」カテゴリーアーカイブ

新庄直頼 ~常陸麻生藩初代藩主

 新庄直頼とは戦国時代から江戸時代にかけての武将であり、大名。
 近江国の浅井氏に仕え、最終的には徳川家臣となり、常陸麻生の藩初代藩主となったことで知られています。

 新庄直頼(しんじょう なおより)
 生年  1538年(天文7年)
 没年  1613年(慶長17年)
 別名  新三郎
 主君  浅井長政⇒織田信長
     ⇒豊臣秀吉⇒徳川家康
 親   父:新庄直昌 母:久我氏の娘
 子   直定 直綱 秀信 直房 娘(柴田某室)
     養子:虎姫(中川秀成室、佐久間盛政の娘)

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遠藤直経 ~浅井長政に最も信頼された、知勇兼備の謀将

 遠藤直経とは戦国時代の武将であり、浅井氏の家臣。
 通称の喜右衛門の名でも知られ、遠藤喜右衛門として史料や講談などにその名を残しています。
 姉川の戦いで織田信長の暗殺を謀り、敵陣に侵入。失敗し、斬首されました。

 遠藤直経(えんどう なおつね)
 生年  1531年(享禄4年)
 没年  1570年(元亀元年)
 別名  喜右衛門
 主君  浅井久政⇒浅井長政
 親   父:遠藤主膳
 子   孫作 喜三郎 仁兵衛

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磯野員昌 ~浅井家の猛将、員昌の姉川十一段崩し

 磯野員昌とは戦国時代の武将であり、近江浅井氏の家臣。
 姉川の戦いで猛攻をみせつけ活躍した、近江国の佐和山城主として知られています。

 磯野員昌(いその かずまさ)
 生年  1523年(大永3年)
 没年  1590年(天正18年)
 別名  秀昌
 主君  浅井久政⇒浅井長政⇒織田信長
 親   磯野員宗
 子   行信 政長 女(小堀正次室)
     養子:員次 信澄

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野村直隆 ~鉄砲衆の頭として各地を転戦した、近江国国友城主

 野村直隆とは戦国時代の武将であり、北近江の戦国大名・浅井長政の家臣。
 主家滅亡後は織田信長、豊臣秀吉と仕えて、鉄砲隊を率いて各地を転戦しました。

 野村直隆(のむら なおたか)
 生年  不明
 没年  不明
 別名  藤左衛門 肥後守
 主君  浅井長政⇒織田信長⇒豊臣秀吉
 子   直俊

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阿閉貞征 ~浅井氏滅亡の遠因となった浅井氏家臣、山本山城主

 阿閉貞征とは戦国時代の武将であり、北近江の戦国大名・浅井氏に仕えた家臣です。
 浅井氏と織田氏の抗争の際には主家を裏切り織田方に降り、浅井氏滅亡の原因と一つとなったといわれています。
 後に織田信長が本能寺の変で横死するに至った明智光秀の謀反に加担し、山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗れると、貞征を初めとする阿閉一族は処刑され、滅亡しました。

 阿閉貞征(あつじ さだゆき)
 生年  1528年(享禄元年)
 没年  1582年(天正10年)
 改名  万五朗⇒貞征
 別名  長之 貞秀
 主君  浅井長政織田信長⇒明智光秀
 子   貞大

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雨森清貞 ~海赤雨三将と称された近江浅井氏の臣、雨森弥兵衛

 雨森清貞とは戦国時代の武将であり、近江浅井氏の家臣です。
 同じく浅井氏の家臣であった、海北綱親赤尾清綱らと共に、その頭文字をとって「海赤雨三将」や「浅井三将」と呼ばれていました。
 また雨森弥兵衛の名が、通称としてよく知られています。

 雨森清貞(あめのもり きよさだ)
 生年  不明
 没年  不明
 別名  弥兵衛
 主君  浅井久政浅井長政

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浅井江(崇源院) ~将軍・徳川秀忠の正室にして、浅井三姉妹の三女

浅井三姉妹《柴田神社の浅井三姉妹像》

三つ盛亀甲に花菱 浅井江とは戦国時代から江戸時代の人物で、三度の婚姻を経て江戸幕府第2代将軍である、徳川秀忠の正室となった人物です。

 長姉に豊臣秀吉側室の浅井茶々(淀殿)がおり、次姉に京極高次正室の浅井初(常高院)がおり、三女である江を含めて浅井三姉妹とも呼ばれています。

 浅井江(あざい こう)
 生年  1573年(天正元年)
 没年  1626年(寛永3年)
 別名  小督 江与 崇源院
 親   父:浅井長政
     母:お市の方(織田信長妹)
 兄弟  万福丸 万寿丸 茶々
     初 くす 刑部卿局
 夫   佐治一成 豊臣秀勝 徳川秀忠
 子   豊臣完子 千姫
     珠姫 勝姫 初姫
     家光 忠長 和姫

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浅井初(常高院) ~豊臣・徳川の間を奔走した、浅井三姉妹の次女

浅井三姉妹《柴田神社の浅井三姉妹像》

三つ盛亀甲に花菱 浅井初とは戦国時代から江戸時代の人物で、若狭小浜藩の藩主となった、京極高次の正室です。

 姉に豊臣秀吉側室の浅井茶々(淀殿)がおり、妹に徳川秀忠正室の浅井江(崇源院)がおり、初を合わせて浅井三姉妹と呼ばれています。

 浅井初(あざい はつ)
 生年  1570年(永禄13年)?
 没年  1633年(寛永10年)
 別名  御鐺(おなべ) 常高院
 親   父:浅井長政
     母:お市の方(織田信長妹)
 兄弟  万福丸 万寿丸
     茶々 督(江)
     くす 刑部卿局
 夫   京極高次
 子   養女:初姫(徳川秀忠の四女)
        古奈(氏家行広の娘)

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浅井茶々(淀殿) ~戦国時代の終焉に殉じた、浅井三姉妹の長女

浅井茶々(淀殿)

三つ盛亀甲に花菱 茶々とは戦国時代の人物であり、淀殿の名でも知られている人物です。
 三英傑の一人の織田信長の姪にあたり、また三英傑の一人である豊臣秀吉の側室でもあり、北近江の戦国大名・浅井長政の娘でもあります。

 末の妹である浅井江は三英傑の一人である徳川家康の息子である徳川秀忠に嫁いでおり、次女である浅井初を含めて浅井三姉妹と称し、戦国時代において数奇な運命を辿った女性の典型として、現代に伝わっています。

 大坂城落城の際に自害して果て、豊臣家滅亡と共に戦国時代を終わらせることになった人物です。

 浅井茶々(あざい ちゃちゃ)
 生年  1569年(永禄12年)
 没年  1615年(慶長20年)
 別名  淀殿 菊子
 親   父:浅井長政
     母:お市の方(織田信長妹)
 兄弟  万福丸 万寿丸
      督(江)
     くす 刑部卿局
 夫   豊臣秀吉
 子   鶴松 秀頼

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海北綱親 ~秀吉をして、我が兵法の師であると言わしめた将

 海北綱親とは戦国時代の武将であり、近江浅井氏の家臣です。
 赤尾清綱雨森清貞と共に浅井三将と並び称されたことでも知られています。

 海北綱親(かいほう つなちか)
 生年  1510年(永正7年)?
 没年  1573年(天正元年)?
 主君  浅井亮政⇒浅井久政⇒浅井長政
 子   海北友松

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