「朝倉家」カテゴリーアーカイブ

堀江景忠 ~戦乱の予兆か、朝倉氏の栄華に終止符を打った武将

 堀江景忠とは戦国時代の武将であり、越前国の戦国大名・朝倉義景の家臣です。
 のちに謀反を企て越前国から逃れ、朝倉氏が滅ぶと戻って織田信長に仕えるも、恩賞への不満を知った信長に誅殺されました。

 堀江景忠(ほりえ かげただ)
 生年  不明
 没年  1576年(天正4年)
 別名  中務丞
 改名  堀江景忠⇒幸岩斎藤秀
 主君  朝倉義景織田信長
 親   堀江景用
 子   景実

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魚住景固 ~越前一向一揆にて滅亡した、朝倉氏旧臣の一人

 魚住景固とは戦国時代の武将であり、朝倉氏の家臣。
 朝倉氏の滅亡後は織田氏に仕えるも、同じ朝倉氏旧臣であった富田長繁によって暗殺されたことで知られています。

 魚住景固(うおずみ かげかた)
 生年  1528年(享禄元年)
 没年  1574年(天正2年)
 別名  彦四郎
 主君  朝倉義景織田信長
 親   魚住景栄
 子   彦三郎 彦四郎

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河合吉統 ~朝倉氏の行政全般を担った、一乗谷奉行人

 河合吉統とは戦国時代の武将であり、越前朝倉氏の家臣。
 朝倉氏の行政担当として活躍し、最期は刀根坂の戦いにおいて戦死した人物として知られています。

 河合吉統(かわい よしむね)
 生年  1521年(大永7年)
 没年  1573年(天正元年)
 別名  五郎兵衛尉
 主君  朝倉義景
 親   河合久徳(父、もしくは祖父)

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朝倉道景 ~主家滅亡に殉じた、朝倉氏一門の若武者

三つ盛木瓜 朝倉道景とは戦国時代の武将であり、越前朝倉氏の家臣です。
 朝倉氏の系図により朝倉景恒の子とされているものの、様々な要因から疑わしいとされており、朝倉氏一門でありながら系譜のはっきりとしない人物として知られています。

 朝倉道景(あさくら みちかげ)
 生年  1558年(永禄元年)
 没年  1573年(天正元年)
 改名  彦四郎⇒道景
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)  
 主君  朝倉義景
 親   父:朝倉景恒

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朝倉景恒 ~朝倉名字の恥辱なり、一門崩壊の予兆か

金ヶ崎城址《景恒が城主を務めた敦賀郡司居城 金ヶ崎城址》

三つ盛木瓜 朝倉景恒とは戦国時代の武将であり、越前朝倉氏の家臣。
 もとは出家して松林院鷹瑳という名の僧でした。

 朝倉景恒(あさくら かげつね)
 生年  不詳
 没年  1570年(元亀元年)
 改名  松林院鷹瑳⇒朝倉景恒
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)  
 主君  朝倉義景
 親   父:朝倉景紀
 兄弟  景垙
 子   道景? 

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朝倉景垙 ~陣中にて自害、朝倉氏滅亡の遠因となった将

金ヶ崎城址《景垙が城主を務めた敦賀郡司居城 金ヶ崎城址》

三つ盛木瓜 朝倉景垙とは戦国時代の武将であり、越前朝倉氏の家臣です。
 その死が敦賀郡司家と大野郡司家の対立を決定的なものとし、朝倉氏滅亡の遠因にもなったといわれています。

 朝倉景垙(あさくら かげみつ)
 生年  不詳
 没年  1564年(永禄7年)
 別名  孫九郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)  
 主君  朝倉義景
 親   父:朝倉景紀
 兄弟  景恒
 子   七朗 

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朝倉孝景 ~文道を左に武道を右に、朝倉氏第10代当主

三つ盛木瓜 朝倉孝景とは戦国時代の越前国における戦国大名です。
 越前支配が安定したことで、その本拠である一乗谷に繁栄をもたらした優れた文治政治家として知られています。

 また朝倉氏最後の当主となる、朝倉義景の父親に当たる人物でもあります。

 朝倉孝景(あさくら たかかげ)
 生年  1493年(明応2年)
 没年  1548年(天文17年)
 別名  孫次郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)
 親   父:朝倉貞景
     母:斎藤利国の娘
 兄弟  景高 景郡 景紀
     道郷 景延 大成明玉
     朝倉景職室(北殿)
     南陽尼寺良玉侍者
     土岐頼武室 鞍谷氏室
 妻   光徳院(武田元信の娘)
 子   義景 

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朝倉貞景 ~朝倉氏全盛期の基礎を築いた、第9代当主

三つ盛木瓜 朝倉貞景とは室町時代から戦国時代にかけての武将であり、越前国の戦国大名です。
 父の代で確立した越前支配を確固たるものとし、内憂外患を打ち払って朝倉氏の全盛期の基礎を築くに至りました。

 また歴代当主の4代目にも、同名の人物が当主としていたことで知られています。

 朝倉貞景(あさくら さだかげ)
 生年  1473年(文明5年)
 没年  1512年(永正9年)
 別名  孫次郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)
 親   父:朝倉氏景
     母:織田孫左衛門の娘
 兄弟  景宗
 妻   斎藤利国の娘
 子   孝景 景高 景郡 
     景紀 道郷 景延
     大成明玉 朝倉景職室(北殿)
     南陽尼寺良玉侍者
     土岐頼武室 鞍谷氏室

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朝倉氏景 ~越前平定を完成させた、朝倉氏第8代当主

三つ盛木瓜 朝倉氏景とは室町時代から戦国時代にかけての武将であり、越前国の戦国大名です。
 父の代において下克上にて手に入れた越前国の支配を、完成させた人物としても知られています。

 また一門の当主において、先祖にあたる3代目当主にも同名の人物がいます。

 朝倉氏景(あさくら うじかげ)
 生年  1449年(文安6年)
 没年  1486年(文明18年)
 改名  阿君⇒氏景
 別名  孫次郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)
 親   父:朝倉孝景
     母:朝倉将景の娘
 兄弟  景明 孫四郎 景総
     教景(以千宗勝)
     時景 景儀 宗滴
 妻   宝林慈珍大姉
     瑞渓妙祥大姉
 子   貞景 景宗

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朝倉家景 ~英林孝景の父にして、朝倉氏第6代当主

三つ盛木瓜 朝倉家景とは室町時代の武将であり、越前朝倉氏の6代目の当主です。
 応仁の乱を経て、斯波氏より越前国の覇権を奪取することになる朝倉(英林)孝景の父親としても知られています。

 朝倉家景(あさくら いえかげ)
 生年  1402年(応永9年)
 没年  1451年(宝徳2年)
 改名  小太郎 為景 教景
 別名  孫次郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)
 親   父:朝倉教景
 兄弟  家景 将景 僧 僧 
     娘(織田久長室?)
 子   堀江利真室 孝景 経景
     輿市郎、景冬 光玖
     聖室宗麟 久嶽紹良 定国

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