「徳川家」カテゴリーアーカイブ

本多忠朝 ~酒で身をあやまり大坂の陣にて戦死した、本多忠勝次男

本多葵(丸に立ち葵) 本多忠朝とは安土桃山時代から江戸時代にかけての武将であり、大名です。
 上総大多喜藩2代藩主であり、本多忠勝の次男として知られています。
 大坂の陣において戦死しました。

 本多忠朝(ほんだ ただとも)
 生年  1582年(天正10年)
 没年  1615年(慶長20年6月3日)
 別名  通称:内記
 家紋  本多葵(丸に立ち葵)
 主君  徳川家康
 親   父:本多忠勝
     母:阿知和右衛門の娘
 兄弟  小松姫真田信之室)
     もり姫(奥平家昌室)
     忠政
 妻   正室:一柳直盛の娘
 子   政勝
     千代(本多政朝正室)
     娘(山口某室) 出雲守

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本多忠政 ~本多忠勝嫡男、忠勝系本多宗家第2代当主

本多忠政

本多葵(丸に立ち葵) 本多忠政とは安土桃山時代から江戸時代にかけての武将であり、大名です。
 伊勢桑名藩第2代藩主及び播磨姫路藩初代藩主であり、本多忠勝の嫡男として知られています。

 本多忠政(ほんだ ただまさ)
 生年  1575年(天正3年)
 没年  1631年(寛永8年8月10日)
 別名  平八郎 家忠
 家紋  本多葵(丸に立ち葵)
 主君  徳川家康⇒徳川秀忠
     ⇒徳川家光
 親   父:本多忠勝
     母:阿知和右衛門の娘
 兄弟  小松姫真田信之室)
     もり姫(奥平家昌室)
     忠朝
 妻   正室:熊姫(妙高院、松平信康の次女)
 子   忠刻 政朝 忠義、
     国姫(堀忠俊正室、後に有馬直純正室)、
     亀姫(小笠原忠脩正室、後に小笠原忠真正室)

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本多忠真 ~本多忠勝を教育した槍の名手

本多葵(丸に立ち葵) 本多忠真とは戦国時代の武将であり、松平氏(のちの徳川氏)の家臣です。
 徳川家康に仕えて徳川四天王として勇名を馳せた本多忠勝を教育し、これを補佐した人物であり、また槍の名手であったとして知られています。
 三方ヶ原の戦いにおいて殿を務め、討死しました。

 本多忠真(ほんだ ただざね)
 生年  1531年(享禄4年)
     もしくは1534年(天文3年)
 没年  1573年(元亀3年12月22日)
 別名  肥後守
 家紋  本多葵(丸に立ち葵)
 主君  松平清康⇒松平広忠
     ⇒徳川家康
 親   父:本多忠豊
 兄弟  忠高

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本多忠高 ~徳川家康金扇大馬印の由来となった、本多忠勝の父

本多葵(丸に立ち葵) 本多忠高とは戦国時代の武将であり、松平氏(のちの徳川氏)の家臣です。
 徳川四天王として勇名を馳せた本多忠勝の父として知られています。

 本多忠高(ほんだ ただたか)
 生年  1526年(大永6年)
     もしくは1528年(享禄元年)
 没年  1549年(天文18年3月19日)
 別名  平八郎
 家紋  本多葵(丸に立ち葵)
 主君  松平清康⇒松平広忠
 親   父:本多忠豊
 兄弟  忠真
 妻   正室:小夜(植村氏義娘)
 子   忠勝

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本多忠勝 ~日本第一古今独歩の勇士、徳川四天王

本多忠勝

本多葵(丸に立ち葵) 本多忠勝とは戦国時代の武将であり、徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主でもあります。
 徳川四天王や徳川十六神将に数えられ、その武勇は織田信長や豊臣秀吉にも賞されました。

 本多忠勝(ほんだ ただかつ)
 生年  1548年(天文17年2月8日)
 没年  1610年(慶長15年10月18日)
 改名  鍋之助⇒忠勝
 別名  平八郎
 家紋  本多葵(丸に立ち葵)
 主君  徳川家康
 親   父:本多忠高
     母:小夜(植村氏義娘)
 兄弟  妹:栄子(長束正家室)
     異父妹:女(中根忠実室)
 妻   正室:於久の方(阿知和玄鉄娘・見星院)
     側室:乙女の方(松下弥一娘・月量院)
 子   小松姫真田信之正室)
     もり姫(奥平家昌正室)
     忠政 忠朝
     女(本多信之室)
     女(松下重綱室)
     女(蒲生瀬兵衛室)

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酒井家次 ~下総臼井藩初代藩主

片喰 酒井家次とは戦国時代の武将であり、徳川氏の家臣です。
 徳川四天王筆頭であった、酒井忠次の長男として知られています。

 酒井家次(さかい いえつぐ)
 生年  1564年(永禄7年)
 没年  1618年(元和4年3月15日)
 別名  小五郎(仮名) 左衛門尉
 家紋  片喰
 主君  徳川家康⇒徳川秀忠
 親   父:酒井忠次
     母:碓井姫(松平清康の娘)
 兄弟  本多康俊 小笠原信之
 妻   正室:榊原政吉の娘
 子   忠勝 直次 忠重
     勝吉 了次 忠時 政時
     娘(松平忠良正室)
     娘(水谷勝隆正室)
     娘(内藤忠興正室)
     娘(里見義高室)
     娘(島田重利室)
     娘(高力一成室)
     娘(菅沼忠隆正室)

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酒井忠次 ~徳川家康第一の功臣、徳川四天王筆頭

酒井忠次

片喰 酒井忠次とは戦国時代の武将であり、徳川氏の家臣です。
 徳川四天王や徳川十六神将の中では筆頭であるとされており、徳川家康にとって第一の功臣であったと称えられている人物になります。

 酒井忠次(さかい ただつぐ)
 生年  1527年(大永7年)
 没年  1596年(慶長元年10月28日)
 別名  小平次(幼名) 小五郎
     左衛門尉(通称) 一智(号)
 家紋  片喰
 主君  松平広忠⇒徳川家康
 親   父:酒井忠親
 兄弟  忠善
 妻   正室:松平清康の娘・碓井姫
     側室:さこの方(宇野氏)
        小宰相局(大河内氏)
 子   家次 本多康俊 小笠原信之
     松平久恒 忠知
     ふう(松平伊昌室)
     牧野康成室
     養女(山岡景佐の娘、本郷頼泰室、曽我尚佑室)

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服部正重 ~4代目服部半蔵

源氏車に並び矢筈  服部正重とは江戸時代の旗本です。
 服部半蔵の名でよく知られている服部正成の次男であり、のちに父や兄の跡を継いで、服部半蔵の名を襲名しました。

 服部正重 (はっとり まさしげ)
 生年  1580年(天正8年)
 没年  1652年(承応元年)
 別名  半蔵
 家紋  源氏車に並び矢筈
 主君  徳川家康
 親   父:服部正成
 兄弟  正就 正広
 妻   大久保長安の長女
 子   正吉

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服部正就 ~大坂の陣で消息を絶った、3代目服部半蔵

源氏車に並び矢筈  服部正就とは戦国時代の武将であり、徳川氏家臣です。
 服部半蔵の名でよく知られている服部正成の長男であり、自身もまた半蔵の名で呼ばれました。
 のちに失脚し、大坂の陣において行方不明になったとされています。

 服部正就 (はっとり まさなり)
 生年  1565年(永禄8年)
 没年  1615年(慶長20年5月7日)
 別名  半蔵 源左衛門
 家紋  源氏車に並び矢筈
 主君  徳川家康
 親   父:服部正成
 兄弟  正重 正広
 妻   松尾(松平定勝長女)
 子   正幸 正辰

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服部正成(服部半蔵) ~鬼半蔵の異名をとった、徳川十六神将

服部正成

源氏車に並び矢筈  服部正成とは戦国時代の武将であり、徳川氏家臣です。
 一般的には通称である服部半蔵という名がよく知られています。
 徳川氏の譜代家臣であり、伊賀衆や甲賀衆を指揮し、徳川十六神将の一人ともされています。

 服部正成 (はっとり まさなり)
 生年  1542年(天文11年)
 没年  1596年(慶長元年11月4日)
 改名  彦右衛門尉
 家紋  源氏車に並び矢筈
 主君  徳川家康
 親   父:服部保長
 兄弟  保正 保俊 正成 正刻
 子   正就 正重 正広

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